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わたし
- 1月22日
新田の伊七と神田伯龍 その5 ~結論~
これまでの調査を踏まえ、新田の伊七と神田伯龍のエピソードを検証してみたいと思います。 わたしが考えるには、 エピソードが事実であるかは証明できなかったけれども、事実でないとも証明できなかった。 という、レトリックのような結論に達しました。 ではそれぞれの可能性について書き出してみます。 〇事実であったと考える まず、新田の伊七という絶妙な人物。けして有名ではなく、史実の片隅に名を連ねていた伊七。神田伯龍とのエピソードがなければ歴史の片隅で消えていくような人物である点。 次に、神田伯龍という稀代の講釈師が、代々名を受け継がれているために時代が特定できないという点はさておき、この人物を登場させてエピソードが語り継がれる点においては、あまりいい加減なことも言えないのではないかという推測。芸人仲間でのおふざけにしては障りがあると思うのです。 最後に場所が佐原ということ。寄席があったということで、ある程度賑わいがあった場所である必要があります。銚子でも松岸でも成田でもなく、佐原であった点により信ぴょう性を感じるのです。 〇事実ではないと考える 史実を基にし


わたし
- 1月3日
新田の伊七と神田伯龍 その4 ~伊七は存在した~
新田の伊七は実在の人物だったのでしょうか? 今回は伊七について調べてみようと、千葉県立中央図書館へ出かけました。 ■飯岡助五郎について まず、伊助は飯岡助五郎の仲間内ということで、飯岡助五郎について調べていきます。助五郎については伊藤実という方がたくさん書き残しているようです。伊藤実氏は飯岡小学校の教諭で、後に飯岡町史編纂委員も務められた方です。「天保水滸伝」が講談や浪曲で流行したために、悪役として定着してしまった助五郎の汚名を雪ごうと、本来の助五郎について調査し著書にまとめたというわけです。 伊藤実氏の主な著作 「実説飯岡助五郎」1962年刊(自費出版) 「飯岡助五郎正伝」1995年崙書房出版刊 「飯岡助五郎 真説・『天保水滸伝』」1978年崙書房刊 これらの本を見ていくと、笹川の大喧嘩についても改めて詳しく知ることができます。上記に上げた「飯岡助五郎 真説・『天保水滸伝』」では、当日繁蔵召し取りに加わった飯岡勢の名がひとりひとり挙げられているではありませんか! 少し転記してみます。 「繁蔵の召し取りに加わったものは、州崎の政吉、新田の伊七、笹