• わたし

青葉の笛

先日、「青葉の笛」をはじめて聴いた。

(初心者なのでたいてい出会う話ははじめてが多いのだが)

でも、演題としては今まで目にしていたので、おおやっと出会えたね、という気持ちだった。

そして「青葉の笛」というアイテムは講談だけでなく、文楽(人形浄瑠璃)でも近しく耳にしていのだった。それは、5月に見た国立劇場文楽公演での「一谷嫩軍記」熊谷陣屋の段。ここにも青葉の笛が登場する。講談もこれのことなのかな?と推測していたが、果たしてそうであった(ちょっと来歴とか違うみたいだったけどよくわからない)。

釈台を前に語りだされた途端、文楽での切場敦盛最期の場面を語る直実が思い出されて、胸の高鳴りと悲しみを覚えた。須磨の浜辺で熊谷が敦盛を呼ぶ遠景から、組み敷いて「早や首取れよ熊谷」の敦盛(実は実子小次郎)の顔の大写しがよみがえる。

文楽では劇中の直実が語り、講談では講談師が直実の役割となり語る。不思議に交錯する関係。

低く重く語っていく始まりに、敦盛の清廉勇壮で瀟洒な馬上の姿がこまやかな描写で立ち上がっていく。厚みが増し色がつき、直実が敦盛に近づくとともに肉感的になってゆく。

文楽と講談では、言葉の数、語りの技は違えど、ここは情景のすばらしさかなと改めて思う。様式美といってもよいか。

文楽では(歌舞伎も一緒かな?)わが子と敦盛が取り替えになっているというトリッキーな筋立てだが、講談は敦盛その人である。直実が引き寄せた敦盛のか弱さ小ささを前に感情に押し流され助けようとするが、引くにひけぬ状況が敦盛を打ち取らせる。

自分の子だからではなく、敵の子だからではなく、小さく弱きものを殺めなければならなかった直実のむき出しの悲しみ、やるせなさ。その後出家する直実の心をまざまざと見る思いだった。

「青葉の笛」は、軍談のうち「源平盛衰記」のエピソードひとつ、という理解でよいだろうか。軍談もよいものだな。10分程度と演者さんはおっしゃっていたが、体感的には20~30分くらいの充足感を得た。また聴きたい。

追記:はじめての「青葉の笛」だと思っていたが、はじめてじゃなかったことが判明。よほどその時のものは胸に響かなかったのかなんなのか。相性というものもあるのだろう。高座も一期一会だな。むむ。

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