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新田の伊七と神田伯龍 その4 ~伊七は存在した~

新田の伊七は実在の人物だったのでしょうか?

今回は伊七について調べてみようと、千葉県立中央図書館へ出かけました。



■飯岡助五郎について

まず、伊助は飯岡助五郎の仲間内ということで、飯岡助五郎について調べていきます。助五郎については伊藤実という方がたくさん書き残しているようです。伊藤実氏は飯岡小学校の教諭で、後に飯岡町史編纂委員も務められた方です。「天保水滸伝」が講談や浪曲で流行したために、悪役として定着してしまった助五郎の汚名を雪ごうと、本来の助五郎について調査し著書にまとめたというわけです。


伊藤実氏の主な著作

「実説飯岡助五郎」1962年刊(自費出版)

「飯岡助五郎正伝」1995年崙書房出版刊

「飯岡助五郎 真説・『天保水滸伝』」1978年崙書房刊


これらの本を見ていくと、笹川の大喧嘩についても改めて詳しく知ることができます。上記に上げた「飯岡助五郎 真説・『天保水滸伝』」では、当日繁蔵召し取りに加わった飯岡勢の名がひとりひとり挙げられているではありませんか!

少し転記してみます。

「繁蔵の召し取りに加わったものは、州崎の政吉、新田の伊七、笹川の常吉、木の内の金治(金蔵)、ざこやの半兵衛、武州の吉五郎、小手丑(中略)総指揮は助五郎、総勢22名」

とあります。お馴染みの名前も見えますが、初めて見る名の方が多いです。22人という具体的な人数にリアルさを感じますね。

そして「笹川の花会」でおなじみの政吉の次に「新田の伊七」」の名がありました!こんなに早く出合えるとはビックリです。



■笹川事件について

さっそく「新田の伊七」の名が出てきましたが、大勢での争い、ましてや死者がでた事件だったのですから、公の取り締まりが黙っているわけはありません。公文書として記録が残され、それを基に伊藤実氏が自著にまとめたと考えてもよさそうです。


飯岡町史※1を紐解いてみると、事件での死傷者の記録がありました。

即死者:永井の利兵衛 木の内金治 桶屋の友蔵

船中で死亡:下永井の彦四郎 州崎の政吉(永井の政吉)

手負:助五郎 松岸の忠蔵 行内の太兵衛 野手の熊五郎


うーん、手負い(負傷者)の中に伊七はいませんね…。指を落としたといっても、ここに記載された人たちよりは軽傷だったのでしょうか?



■古文書の中の伊七

次に天保水滸伝関係の古文書資料を見ることができました。

原本ではなく電子複写、また傷みがあるため非常に読みにくいですが、翻刻された参考資料を手引きに読み進めてみました。

疵請死人 平田深喜(平手造酒)
疵請死人 平田深喜(平手造酒)

事件についての見分書※2です。

「疵請死人 無宿浪人 平田深喜」とあるのがわかります。

平田深喜、つまり平手造酒のことですね。

刀による切り傷がどこにどのような深さで何カ所あるのかが具体的に書かかれ、読んでいると苦しくなってきます…

非常に興味深い資料ですが、しかし、ここには伊七の名は見つけられませんでした。



外ニ手下ノ者共 伊七
外ニ手下ノ者共 伊七

次に助五郎関係資料※3を覗いてみると、おおお!

複数の名が連ねられていますが、伊七を発見することができました。

とても見にくいのですが、「外ニ手下ノ者共」のところに、「石松 友蔵 太兵衛 伊七(以下略)」とあります。列記されている名を見回すと、前述の伊藤実氏の記述や飯岡町史に見られる事件当日のメンバーと重なってきます。

実在した、としても大きな誤りではなさそうですね!



■新田はどこ?

笹川の繁蔵、飯岡の助五郎と同様に、新田の伊七も居住地域を名に冠して、どこそこの誰々というように通称していたのでしょう。では、新田とはどこ?

飯岡、現在の旭市のどこかでしょうか?これは非常に特定が難しいです。というのも、旭市は農政学者である大原幽学が農地開拓を進めたところ。飯岡助五郎と大原幽学は同時代者でもあります。この大原幽学により新田開発された場所を「新田」と通称したとしたら…その数は計り知れない…。今のところこの謎は解けそうにありません。



■伊七は二人いる?

講談「天保水滸伝」を注意深く聴いていると、「新田の伊七」のほかに「八木村の伊七」とう名が出てきます。え?同一人?伊七は二人いる?

「天保水滸伝」の「鹿島の棒祭り」※4の中で、平手造酒が喧嘩をして浪人たちを斬ってしまいます。駆け付けた勢力の富五郎は、夏目の新助を事の次第を知らせるために助五郎の賭場へ走らせる。その賭場に控えていたのが成田の甚蔵、八木村の伊七、三浦屋孫次郎です。成田の甚蔵、三浦屋孫次郎という助五郎の身内の中でも力のある二人、その中にその他大勢であった「新田の伊七」が二人と肩を並べていたとは考えにくい。八木村というのもどこなのか判然としませんし、これまで調べてきた資料にもこの人の名は見当たりませんでした。あくまで推測ですが、伊七は二人いたのでしょう。



■調査を終えて

新田の伊七は実在した、と結論づけてもよいのではないでしょうか。

どこのどんな人物かは定かではないけれども、助五郎の手下のひとりであり、天保15年の笹川襲撃の際に伊七も加わっていたのだと思われます。



そろそろ最後のまとめをしなければいけませんね。

新田の伊七と神田伯龍とのエピソードは本当なのでしょうか?

みなさんはどう思われますか?


<つづく>


参考文献

※1「飯岡町史史料集 第三集(上永井村・下永井村・飯岡村・八木村新田・塙村)」1978飯岡町刊

※2「助五郎笹川事件ニ付御出役御見分書之写」天保15年(1844)

※3「下総国飯岡助五郎差出書付扣」弘化3年(1846)

※4 神田伯山ティービー:神田春陽「天保水滸伝〜平手の破門、鹿島の棒祭り」(2話目)

31:50頃から

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