荒神山の手打ち式
緊急事態宣言が解除され、どことなく街に安堵の雰囲気を感じる今日この頃です。
気候も秋めいて気持ちいい。
どこかへ行きたい、そう思いつつ、調子に乗ったらまた年末におこもりになるのでは?といった不安もあります。
遠くへのあこがれを持ちつつ、思い出した一枚の写真。
清水の次郎長の外伝でわたしが最も重厚で集中を感じる「荒神山の間違い」。この時の騒動の手打ち式(和解成立の手締めといったところでしょうか)の写真が残っているのです。
最初は、え?と戸惑いました。
何とはなしに、次郎長は近世の侠客と感じていたからです。
よくよく調べると、荒神山(現在の鈴鹿市)の争いは慶応2年(1866年)の出来事。慶応4年で江戸から明治に改元されますので、幕末も幕末、近代に足をかけた時代でした。
この写真にもある通り、髷姿の人もあれば、次郎長をはじめ総髪の人もいる。写真も気軽に撮れる時代となっていたのですね。史実に基づいた出来事ということが、写真から生々しく感じられ、じっと見入ってしまいます。
ちなみに、次郎長の生没年は文政3年(1820年)~明治26年(1893年)。
荒神山の間違いが起こった時、次郎長は46歳。
写真の中の次郎長、まさにそんな年齢に見えますね。皆さんの想像上の次郎長と比べて、どんな感想を持つでしょうか? 失礼承知でわたしの初見の感想を申し上げると、「わ!意外におじいちゃん!」というものでした(すみません!)。
次郎長は明治期に入ると公益事業などにも積極的に取り組み、明治20年73歳で没します。
この写真は三保の松原を観光した際、偶然に(なんと清水に行ったのに次郎長のことが完全に頭になかった!)通りがかった「国登録有形文化財 次郎長生家(旧高木家住宅)」を見学したときに手に入れたものです。この時のことはまた別の記事にできたらと思います。
ああ、また清水に行きたいなー。
なんだか次郎長熱も再燃してきたかも?
ではまた次のブログで。
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