どこで・だれが・なにを(年表)

 

 

 

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歴 史

 

●講談の起源

慶長の頃(1610年前後)、赤松法印なるものが徳川家康の御前で源平盛衰記、太平記等を度々進講し、続いて諸侯にも召されて軍書を講じたのがそもそもの始まり。太平記読(たいへいきよみ)と呼ばれ、講談の起源となる。

 

●町講釈のはじまり

元禄13年(1700年)、赤松青龍軒が原昌元(しょうげん)と名乗り、堺町に葭簀張りを構え、軍談を講じる。また、名和清左衛門なるものが浅草見附御門脇にて太平記を講ずる。これが町講釈のはじまり。一説に青龍軒と清左衛門は兄弟ともいい、同一人という伝もある。

 

●神田伯龍子あらわる

享保の頃(1720~30前後)、神田伯龍子(かんだ・はくりゅうし)という者、大名旗本の家へ招かれ、軍書講談を読む。現在の講談師に受け継がれている名の中では、神田伯龍が最も古い名前と言うことになる。

 

●席料の発生

神田伯龍子と同じころ、浅草寺境内に葭簀張りの小屋を設け、席料を取って辻談義に人を集めたのが霊全。この霊全は能弁にて人をよく笑わせ、日々三百人余りもの聴衆があり、頗る繁昌したという。

 

●さまざまな人物の活躍

霊全より少しあと、滋野瑞龍軒、成田寿仙、村上魚淵、深井志道軒などが現れる。太平記・軍書のほか、伊達、黒田等の家政(騒動物)を講じた。

 

●講釈師・馬場文耕の出現

講談場に行燈看板を設けた元祖。文筆もよくし能弁でもあることから、騒動物に想像の裁判を下すなどして御用となり、死罪獄門となる。当時の咎書には「講釈師 馬場文耕」とあり、講釈師の肩書が見える。

 

 

つづく…