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大岡政談アラカルト

直助権兵衛

直助権兵衛(なおすけ ごんべえ)

登場人物

・大岡越前守忠相

・小山田庄左衛門、のちに、中島立石

・直助、後に、権兵衛

 

〇あらすじ

播州赤穂浪士であった小山田庄左衛門(おやまだ しょうざえもん)は来る討入のために、大石内蔵助から同志へ支度金を渡すよう託される。邪念が起きた小山田はその金を持って蓄電。その際、内蔵助から譲り受けた五尺五寸の則光の刀とともにあった。

赤穂浪士たちは小山田の蓄電に大いに怒るが、大事の前の小事とことを荒立てず、元禄15年12月14日、無事仇討ち本懐を遂げる。

一方、小山田は田舎にて医術を習得。3年の後、名を中島立石(なかじま りゅうせき)と改め、妻子を伴い江戸深川万年町で医業を営み、評判も上々であった。

中島家には直助という田舎出の使用人がいた。日々中島一家に鬱憤がたまっていた直助は、ある夜金を盗もうとし騒ぎになり、中島が所持していた則光の刀により一家を殺め、行方知れずとなる。時に正徳4年12月、義士の十三回忌であり、しかも中島立石こと小山田庄左衛門は大石内蔵助の刀により斬り殺されたことになる。

人相を変え、名を権兵衛と改めた直助は麹町六丁目の米屋三左衛門に住み込むが、怪しき者として大岡越前の裁きを受けることとなる。直助であることを頑として認めない権兵衛に大岡越前は知恵を働かせ…

 

〇聴きどころ

忠臣蔵のスピンオフ的なコンパクトな一話。実際の事件を大岡裁きに脚色し、大岡越前の知恵頓才、名裁きの読み物に仕立てられている。​直助が人相を変えるにあたり歯を2本抜き、顔に傷をつけるあたりにぞわぞわします。

この直助権兵衛の事件を実際に裁いたのは中山出雲守時春。重罪者の家族は連座制によって処罰されるのがこれまでの法であったが、享保6年(1721年)から庶民の犯罪については連座制を廃止、その適用第一号がこの直助権兵衛であったことがこの事件の注目すべき点である。

直助権兵衛は講談をはじめ、鶴屋南北「東海道四谷怪談」の登場人物としても有名となった。

 

〇周辺散歩

中島立石が医業を営んでいた深川万年町は現在の江東区深川1丁目~2丁目。直助権兵衛にちなみ、深川1丁目付近は直助屋敷と俗称されていたことがあるそうです。古地図をみると南北の「東海道四谷怪談」で直助とお袖(お岩の妹)が最期を迎える三角屋敷もあります。まさに直助屋敷ですね。

仙台堀川の海辺橋たもとには芭蕉像。寒いのでどなたか襟巻をしてあげたようです。渋めの色がお似合い!

 

<参考資料>

辻達也/編『大岡政談 1』(東洋文庫435)1984年平凡社刊

一龍斎貞水/編『大岡越前 名裁き』(一龍斎貞水の歴史講談②)2000年フレーベル館

Webサイト「江戸町めぐり

スマホアプリ「大江戸今昔めぐり」

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しばられ地蔵

しばられ地蔵(しばられ じぞう)

 

〇登場人物

・大岡越前守忠相

・日本橋室町の越後屋八郎右衛門(八郎左衛門とも)の荷担ぎ弥五郎

・南蔵院の地蔵尊

 

〇あらすじ

日本橋室町にある木綿問屋越後屋で荷担ぎ仕事をしている弥五郎(やごろう)は、酷暑のある日、重い木綿を担いで得意先へ向かう。あまりの暑さに本所中之郷にあるお寺、南蔵院のお地蔵様傍らの木陰で一休み。いつしか眠りに落ちてしまい、気づいたときには日が暮れ、大切な商い品である木綿反物が消えていた。

探し回っても見つからず、越後屋主人八郎右衛門からは激しい叱責。困り果てた弥五郎は友人善太郎に相談し、南町奉行大岡越前守へ駆け込み訴えをした。

国土を守るべき地蔵菩薩が盗みをみすみす見逃すとは不届き者だとして、越前守は南蔵院の地蔵を召し取るよう配下に命ずる。

6尺(約180cm)もの地蔵を召し取るのも大仕事。役人だけではなく周囲の野次馬をも巻き込んで、縄でぐるぐる巻きにされた地蔵は大騒ぎで奉行所へ。地蔵相手の不思議なお裁きだったが、野次馬連にもお叱りが。神聖な奉行所に無断で踏み入った咎として、木綿1反ずつ納めるよう申し渡される。

集まった500反の木綿、その中に盗まれた木綿はあるか?と弥五郎に問う越前守。調べるうちに2反の反物が弥五郎のものとわかり、納めた者から売り手をたどり、本所表町くまん蜂の三八なる者が盗人と判明したのであった。

 

〇聴きどころ

名裁きで名を馳せている越前守がどうしたことやら? 石の地蔵が犯人だとする見解から、どのように真犯人を追求していくのかが妙味です。日本橋室町、弥五郎が向かった得意先、南蔵院、南町奉行所と、弥五郎の足取りを追いながら江戸の町々を歩き回っているような気分になります。なお、東京都文京区にある林泉寺にも同様の伝承をもつしばられ地蔵があります。

 

〇周辺散歩

この話の中では本所中之島にあるという南蔵院ですが、昭和2年(1927年)に現在の葛飾区金町に移転しています。弥五郎が向かった得意先には諸本で相違があり、松戸とも本所柳島とも。松戸なら現所在地の南蔵院がしっくりきますが、柳島であれば江戸時代の本郷中之島がイメージしやすいですね。

南蔵院の境内にはしばられ地蔵尊をはじめ、聖徳の松、水琴窟などがあり広々としています。100円のお布施でしばられ地蔵に願いの縄をかけることができました。水元公園が近くのどかで散策にもってこいです!

 

<参考資料>

辻達也/編『大岡政談 2』(東洋文庫439)1984年平凡社刊

一龍斎貞水/編『大岡越前 名裁き』(一龍斎貞水の歴史講談②)2000年フレーベル館刊

神田松之丞/監修 石崎洋司/文 北村裕花/絵『講談えほん 大岡越前 しばられ地蔵』2019年講談社刊

業平山南蔵院ホームページ

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