宮本武蔵の速記本を読んで
季節の移り変わりを感じる今日この頃です。
週末になると雨が降ったり、衣替えもままならず…
先日、宮本武蔵の速記本を読み終えましたので、その感想を記しておこうと思います。

八千代文庫『宮本武蔵』大正2年(1913年)発行
講演:神田伯山(3代, 1872-1932)
速記:酒井昇造
物語の内容は現在口演されている神田派の「寛永宮本武蔵伝」とほぼ同一でしたが、話組の順番の入れ替わりや名称の異同、内容の詳細度、口演では聴いたことのないエピソードなどがありました。
例を挙げると
・武蔵は左利き
・「天狗退治」に出てくる伴昌三(ばん しょうぞう)、速記では伴兵藏(ばん ひょうぞう)
・竹ノ内加賀之介が登場しない
・吉岡治太夫、吉岡又三郎のエピソードがやけに詳しい
・「甕割試合」の小野善鬼が巻物を奪うのは試験当日ではない
・「熱湯風呂」後の裸の武蔵の顛末
・姫路まで来たのに一旦江戸表に戻る
・新十郎吉左衛門を殺す、吉太郎を手裏剣で助太刀する武蔵のエピソードがある
印象的だったのは、
物語の初めの方で出会う関口弥太郎。この人物から武蔵はさまざまなことを教えてもらったのだということ。行人坂で打ったのは偽巌流であり、本物は肥後熊本にいること。各地にいる武芸者を紹介され訪ねたほうがよいこと。それらを知った武蔵は、この後のおおまかな道筋を決めたのだなと。
一番とショックだったのは、
姫路(熱湯風呂)まで来たのに、岸柳が江戸へ向かったという情報を元に道中を引き返して江戸表へ一旦戻ったこと… えー!!!ガーン!! なので、「武蔵の足取り」はもっとあっち行ったりこっち行ったりになるのですが、本筋とはあまり関係ないので割愛しました。
確かに江戸を発つ前、武蔵は父の宮本伊織に仇討ちには三年を見込んでいるような話をしていました。仇討ちってそうそう簡単にはいかないものですよね…常に相手の動向を気にして追いつめていくわけですから。携帯電話があるわけでもないですし…。
それから武芸者としての武蔵、
数々の武芸者と闘い、奥義の交換を経ていくわけですが、ところどころにその鍛錬が垣間見れておもしろかったです。口演では出会ったことのない吉太郎助太刀のくだりでは、毛利玄達直伝の手裏剣がシュバ!シュバ!と相手を蹴散らします。
最後の佐々木小次郎岸柳との闘いは6時間以上も見合っていたりして、恐ろしいんですけど!
そんなこんなでいろいろ収穫の多い速記本でした。
上方の旭堂小南陵先生は此花千鳥亭で「太閤記」をお読みですが、それは二代目旭堂南陵の速記から起こしているそうで、速記本のいい加減さや内容の整合性の無さをマクラでお話されていました。わたしはこの宮本武蔵の速記を読んでいたので、心中そうだねそうだねと頷くことが多く、口演するからには修正やつじつま合わせが必要なんだなと実感していました。
速記本は収穫も多いが、口演との折り合いのつけ方が大変ということですね。
今回の宮本武蔵のまとめ作業で、少しばかりその苦労がわかるような気がしました。
最後に愚痴らせてください…
わたしの「巌流」と「岸柳」の取り違えがはなはだしい(泣)(無理)!!
ちゃんと速記には岸柳の名の由来が書かれているんですけどね。イメージ先行で、肥後熊本のガンリュウが巌流の漢字のイメージで、武蔵の義父のガンリュウは岸柳のイメージがしてしまうのです…
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