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わたし
- 2022年11月30日
新田の伊七と神田伯龍 その2(3代目伯龍?もしくは4代目?)
前回の発端に引き続き、 新田の伊七と神田伯龍について、関係事項をまとめてみました。 ●伊七と伯龍関連年表 ・主な出来事 天保水滸伝にかかわる事件や主要人物の没年を記載 ※1 ・新田の伊七 講談の中で語られる「70過ぎまで生きた」を元に推定没年を記載 ・神田伯龍 人名辞典※2 を参考に1~6代目までを列記。その生没年と伯龍を名乗った時期を記載。不明点が多い人物については名乗った時期を推定。東京と大阪で存在していた講釈師名のようですが、佐原の寄席に出演した、という情報を基に東京の代としました。また、新田の伊七が生存していた時期を考慮し明治後期以降を省略しています。 ●推考 新田の伊七が1900年頃まで存命だったとすれば、平手造酒に斬られた傷を自慢した相手である神田伯龍は1~4代目と可能性は広い。ただ、事件後すぐにそんなことをするとは考えにくい。繁蔵、助五郎、成田の甚蔵など主たる人物がこの世を去り、事件のほとぼりがさめて数十年、伊七も年を取り、昔を懐かしみながら自慢げに「この傷は…」と回顧する頃であったのではないかと想像する。 すると、3代目、または、


わたし
- 2022年11月26日
新田の伊七と神田伯龍 その1(発端)
講談「天保水滸伝」で魅力的な挿話があります。 笹川方の用心棒、剣豪・平手造酒。その太刀筋の鮮やかさ、早業を示すエピソードとして登場するのが新田(しんでん)の伊七(いしち)。 新田の伊七は飯岡方のひとりで、笹川の大喧嘩の際にも同行。平手造酒に左手の小指と薬指を斬られた。平手の太刀筋が鮮やかすぎて、指を落とされたことを帰りの船の中でやっと気づいたという。 この新田の伊七、七十過ぎまで生きた。 後年、その伊七が佐原(さわら)の寄席に上がった神田伯龍を訪ね、平手に斬られた傷を自慢したという。 講談の読み物の中でしか存在しないと思っていた話が実在の講談師につながってくるという、なんともワクワクするエピソードです。 新田の伊七 佐原の寄席 神田伯龍 具体的な人名や場所が出てくるこのエピソードですが、講談「天保水滸伝 平手の最期」の中で紹介されることが多いようです。※1 このエピソードについて、対談の中で神田愛山先生はこうおっしゃっています。※2 伯山「新田の伊七の話は本当なんですか?」 愛山「講談本に書いてあったよ」 伯山「じゃあ嘘ですね(笑)」 伯山先生が