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わたし

講談「大徳寺焼香場」から紫野大徳寺へ

みなさま、こんにちは。

今回のブログは、11月に京都は紫野大徳寺へ行ってきたことを記したいと思います。


今まで京都は大阪に比べるとあまり興味がない土地でした。

しかし!

わたしは講談「大徳寺焼香場」(太閤記の一話となるのでしょうか)に出会い、京都の大徳寺への憧れが間欠泉のごとくドヒャーっと湧き出たのです。


ここで「大徳焼香場」について軽くご説明すると、

本能寺の変により明智光秀に滅ぼされた織田信長のお葬式が京都の大徳寺で行われ、その焼香の順番を巡って揉める。というお話です。

こう書くと、なんかめちゃくちゃ世話物っぽさがにじみますが、とても格式が高く重厚な読み物なのです。

初めての出会いは田辺銀冶先生、次に一龍齋貞橘先生で拝聴しました。


当初6月に京都行を決めていたのですが、なんということでしょう。当日行けなくなるというハプニング…

しかし今年中に、この心に灯った憧れの気持ちが消えないうちに行かなければ!

と切羽詰まった気持ちになり、京都行を決めました。


東京駅新幹線ホーム

はやる気持ちと、京都怖い、京都人怖い、バス分からない、混雑無理…というネガティブ感満載のわたしを乗せた新幹線のぞみ号は雨もよいの京都に到着。


荷物を宿に預け、さあ!大徳寺へ!

と、思いきやもうひとつ心に秘めた憧れの場所、鳥辺野陵へ。

藤原定子のお墓、そして泉涌寺へのお詣りも済ませ、なんかもう山道疲れたし…雨も本格的に降り始めたよ…バスどこ…お腹すいた…と涙目。

そんな弱気なわたしを見て見ぬ振りし、もうひとりのわたしが誘う。

さあ行こう紫野大徳寺へ!


鳥辺野は東福寺に近く、いわゆる洛東。

一方、大徳寺のある紫野は洛北。


めっちゃ遠い~

京都駅から混雑するバスで40分程度。途中から人混みも減り、雨も小降りとなりました。

大徳寺前で降車。この時点ですでに2時半近く。すごく遠くに来たな、という感じです。京都にもこんなに人がいない場所があるのだな。


大徳寺南門入ったところ

着いた!

で、どっち行ったらいいの?

え、もうここが大徳寺?


予備知識ゼロのわたしの前に現れたのは広大な境内にいくつもの塔頭寺院(小寺)が所在する大徳寺ランドでした。お寺と言えば境内に本堂がひとつ、というイメージだったため、やや混乱。


大徳寺案内図

ずんずん歩いていくと「特別公開」の立て看板を発見。旅先のお金は惜しむな、ということで、今秋特別公開されている三寺院のセット拝観券(1700円)を購入。



・大徳寺塔頭 黄梅院

 織田信長が28歳ではじめての上洛をした際、父・織田信秀の追善菩提のために建立した小庵(黄梅庵)が黄梅院のはじまり。千利休により作られた自中庭(じきちゅうてい)が有名。

黄梅院
黄梅院前庭

紅葉のはじまりかけたお庭がとても美しかったです。前庭には小早川隆景や蒲生氏郷など、武将たちの墓地(?石碑?)がありました。



・大徳寺塔頭 興臨院

 足利時代に能登の畠山左衛門佐義総により創建。以後畠山家の菩提寺となっている。

興臨院

人も少ないしゆっくりのんびり鑑賞していたところ、興臨院の受付のおじさんにお声がけいただきました。お寺の拝観は4時で受付終了が多いから、総見院が残っているなら少し急いだほうがよいと。

やばい! この時点で3時10分くらい。


ところで、黄梅院も興臨院もとてもフレンドリーというか、親戚の家を訪れたかのような親しみ感。「ようきたね。茶室見てってね」という感じ。観光地にあるようなガツガツ感や忙しなさ、マニュアル感がないとうか。後で京都出身の人に訊いたところ、「あそこ(大徳寺)は商売気がないからな」とのこと。お、おう。



・大徳寺塔頭 総見院

 織田信長の菩提寺。創建は天正11年(1583年)、信長の一周忌を迎え、その追善のために豊臣秀吉が建立。信長公木像、織田信長公一族の墓がある。

総見院正門

最後に総見院。

ちょうど最終説明に間に合いました。


信長が滅ぼされた後、信長の遺体が発見されなかったため葬儀のために木像が作られたことは講談の中でも言及があります。その木像は2体作られ、一体は葬儀の後荼毘に付され、もう一体は現在、総見院にあります。(知らなかった!)

火葬された木像は香木である沈香(じんこう)で作られていたために、葬儀のときにはたぐいまれない香りが京都市中にひろがったという。沈香は蘭奢待(らんじゃたい)の素材でもあり、そう、蘭奢待といえば講談「木村長門守重成の最期」で知った方も多いのではないでしょうか。(泣ける!)

そして、信長一族のお墓である七基の五輪塔があります。(知らなかった!)

しかも、お墓から比叡山が見えるという。(知らなかった!因縁!)

でも、信長公のお墓は京都だけでも複数あるのですね。(知らなかった!)


総見院茶筅塚
織田信長公一族の墓

お墓にお線香をあげさせていただき、遠く比叡山を眺め、加藤清正が持ち帰ったとされる朝鮮石を使った掘り抜き井戸や茶筅塚(さすが大徳寺の茶面!)、インスタ映えするとおすすめされたハート形の窓(猪目窓(いのめまど))、正門・土塀(親子塀といわれ内部に空洞を持つ、隠れ用?)などを拝見しました。

創建当時のままの建造物

猪目窓

またぽつぽつ降り始める雨の中、夕闇せまる大徳寺を後にしました。



今宮神社門前のかざりやさんであぶり餅をいただき一服。

白みその甘味とあぶりたてのお餅が香ばしくやさしい。


そして人類は滅びたのかな?というくらい誰もいないバス停から京都駅へ戻りました。

あぶり餅かざりや
京都タワー

ああ、疲れたけど満足感でむちむちです。

なんとこの一日だけで16キロも歩いていました。(馬鹿なの?)


大徳寺を堪能し、また講談「大徳寺焼香場」に出会いたい、そして再び大徳寺へ行きたい、とうずうずしているわたしです。


あれ?

ところで、信長のお葬式は大徳寺のどこで行われたのだろう?

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