- わたし
宗吾霊堂 ~三代目神田伯山の玉垣~
みなさま、雨の連休最終日いかがお過ごしでしょうか?
行動制限のないGWは4年ぶりとのこと。レジャーや演芸をたのしまれた方、休息に充てられた方、お仕事の方もいらっしゃったと思います。
わたしは…、行きたい講談会が複数あったものの都合で叶わず。でも途中下車感覚で少しばかり遠出をして、千葉県佐倉市の宗吾霊堂へ行ってまいりました。
宗吾霊堂は江戸時代の義民、佐倉宗吾(本名:木内惣五郎)のお墓があるお寺です。「佐倉義民伝」は歌舞伎、浪曲などでおなじみですね。講談ではどうでしょうか?
成田空港へ向かうと思われる大きな荷物の人たちに交じって、京成線にゆられガタンゴトン。宗吾霊堂へは京成線の宗吾参道駅から徒歩10分程度。(ですが、ゆるやかな上り坂がずっと続くので、京成成田駅からバスもありです!)
霊堂前の「甚兵衛そば」で昼食。
お詣りに訪れる人と近所のおなじみさんが半々ずつの客層で、お目当ての甚兵衛そば520円で昼食。蕎麦桶が渡し船にちなんで船形です。自然と国本武春さんの浪曲「佐倉義民伝 甚兵衛渡し」を思い出します。
さて、山門を潜って境内へ。
入ってすぐに宗吾親子のお墓がありました。さっそくお線香を買ってお詣り。
こちらのお墓には三代目神田伯山の寄進した玉垣があります。
それだけではなく、芸能関係者の名前があちこちに。「神田伯山」のすぐ隣には「浪曲 春日亭清吉」、山門脇には「四世 市川九藏」、歌舞伎公上演記念の「中村勘三郎」「松本幸四郎」「中村勘九郎」による記念植樹がありました。
元々、ここへ来ようと思ったきっけかは、中公文庫『作品集 講釈場のある風景』。
こちらに三代目神田伯山が宗吾霊堂に玉垣を寄進したという記述があり、気になっていたのでした。
以下、中公文庫『作品集 講釈場のある風景』p.105より抜粋
いつも門弟を連れて、成田へ参詣する。そして宗吾様〔江戸時代の義民・佐倉宗吾を祀った寺〕へ寄る。宗吾様の墓に伯山の寄進した玉垣があるが、これはある日参詣したとき、その場で石屋にたのんだものだ。
たっぷり太く彫られた「神田伯山」。
もともとは白色を入れていた文字が、時代を刻んで今では色が抜けていますが、ちゃんとその名を目にすることができます。
三代目の伯山さん、いまその名前は六代目として受け継がれていますよ。心の中でひとり言つ。
その後、広々と緑豊かな境内を散策し宗吾霊堂を辞しました。
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