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中公文庫『作品集 講釈場のある風景』読了

みなさま、こんにちは。

寒さが日ごとに増してきましたね。


先日、中公文庫『作品集 講釈場のある風景』(2022年刊)を読み終えました。

僭越ながら感想などを記したいと思います。

こちらの本は中央公論新社によるオリジナル編集で、講談や講釈場が登場する評論や随筆、小説が所収されています。

夏目漱石や永井荷風といった文豪が当時の講釈場の風景を追想したり、小島政二郎や有竹修二といった講談に明るい人たちによる当世芸人評、また、瀬戸内寂聴などによる講談師に材をとった小説があったりと、よりどりみどりで講談周辺をたのしむころができます。


待っていたよね!こういう本!

生活の中に、娯楽のひとつとして、街角の風景として、存在していた講談。

そのひとかけらを今によみがえらせる一冊。

うれしい!

そしてたのしい!


個人的には有竹修二の文章が読みやすく、且つわかりやすかったです。ジャーナリストならではの平明で広い視点ゆえでしょうか。有竹修二の知り合いとして名があがっている森暁紅、以前この人物による著作『芸壇三百人評』をおもしろく見ていたので、ここで登場してきて驚きつつもうれしい再会でした。


小説では5代目神田伯龍を題材とした小島政二郎「一枚看板」がおもしろかった。講談師としての苦悩と流離があり、やがて一枚看板になるまでを描いています。伯龍の胸の鼓動と身体の震えが伝わってくるようでした。わたしが文楽を観るきっかけをつくってくれたのが有吉佐和子『一の糸』だったことを思い出し、この「一枚看板」が誰かの講談へのきっかけとなってくれるといいなぁと空想したりもしました。


明治大正時代には当たり前に使われていた言葉や、当たり前に高座に掛けられていた読み物も、今では当たり前ではなくなっているということも知ることができました。まったく初めて耳にする講釈師の名前が出てきたりするかと思えば、当代に続くお馴染みの名前がでてきたり。


どれだけ名人だったのか想像に及ばない錦城斎典山や一立斎文慶。わたしが昔に生きていたなら松林伯圓を好きになったんじゃないか、とか。

有竹修二が語る神田伯山の「善悪二人娘」がめちゃくちゃ面白そうで、今誰がやるんだろう?聴いてみたい!と高まったり。


巻末には六代目神田伯山先生と演芸評論家の長井好弘氏の対談を収録。

最後に伯山先生が「私は過去よりも未来を見ているんです。(中略)講談には、大きい名前が綺羅星の如くありますから、三十年後、四十年後に「当代がいる」っていう状態にみんなで持っていきたいなと思います。」と述べていて大変勇気づけられました。 “みんなで”という言葉、いいですね。


強く太い綱であった講談が、途中木綿糸みたいまでに細くなり、でもまたより合わさって強く太い綱になっていくような流れを感じます。

わたしが講談ファンだからかもしれませんが、とても充足感のある一冊でした。

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