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わたし

フィールドワーク天保水滸伝

天保水滸伝の舞台となる千葉県北東部、笹川周辺をめぐりました。

数年をかけて少しずつの記録をまとめています。

なんだか肝心の写真が抜けまくっている気がする雑なフィールドワークですが、この田舎町の広々とした景色の中で繁蔵や平手造酒、助五郎たちの濃い人間のつながりや争いがあったのだと感じられればよいなぁ、と思います。(無理だろ)

★JR成田線に乗ってレッツゴー!

わたしは東京から成田へは京成線で、成田でJR成田線(銚子行)に乗り換えて笹川駅へ向かいました。ちなみに成田から先は単線です。要所要所の駅で上り下りの電車がすれ違います。それゆえ、待ち合わせなどで駅の停車時間が5分程度ある場合もあり、のんびりムード。

成田線(銚子行)

成田~笹川

①諏訪神社周辺

笹川駅に到着し、てくてくてく。5分程度で諏訪神社へ。

境内には相撲が盛んだった名残か、笹川繁蔵が建てた野見宿禰(のみのすくね)の碑や土俵があります。また、天保水滸伝遺品館もあり、ボランティアのガイドさんがいらっしゃったり、いなかったり。

諏訪神社
諏訪大神御由緒
大木戸の山車(やたい)

7月下旬には笹川のお祭り、各地区の山車や御神輿がでます。この写真の山車は大木戸地区のもの。ちょうど高速バス(銚子~東京間)東庄停留所の前に来たところをパシャリ!

出羽海部屋夏合宿

8月夏には出羽海部屋の夏合宿が毎年あり、ファン感謝デーにはちびっこ相撲などが開催されます。(ちなみにわたしは出羽疾風を応援しています!)

②桁沼川周辺

諏訪神社の鳥居から桁沼川(けたぬまがわ)へ出ます。正直きれいな川ではありませんが、この川は利根川支流の黒部川へ合流します。

桁沼川

鷺が沈みかけた船に羽を休めていました。のどかで静かな冬の朝です。

笹川橋から諏訪神社方面を見ています。向こうに見える橋を右に進むと、諏訪神社の鳥居。橋の右たもとには十一屋さんがあります。一般のお宅なので写真は控えましたが、表札に「十一屋」とあり、かなり立派です。御主人でしょうか、陶芸の展示が見えました。

③繁蔵の最期の地(碑)

諏訪神社から少し歩いたところありました。碑の後ろ側に彫られた文字はほとんど読めません。

笹川繁蔵最期の地(碑)

④延命寺(えんめいじ)

諏訪神社からすぐのところには繁蔵、平手造酒、勢力富五郎の墓や碑があります。

「長生きしたけりゃ延命寺」

こういうの、嫌いじゃありません(笑)

台風の後だったためか、案内板がボキッと折れていた…

★川沿いへ

さて、もうすこし広く笹川周辺をさまよってみよう!

桁沼川から黒部川、そして利根川。この川沿いこそが笹川らしさを感じた風景でした。

桁沼川<黒部川<利根川が太い!

⑤笹川新橋

空がひろいなぁ。

笹川新橋にほど近く、黒部川と利根川の間の道路からの風景。利根川の向こうは茨城県神栖市。ところで笹川の番地、「笹川い」「笹川ろ」、いろは順なのがかわいい。

笹川新橋沿い

⑥黒部川沿い

利根の川風に吹かれながら日の出を見ました。

早い時間ですが、釣り人がちらほら。

川、地、雲、すべてが平行線のおだやかな風景。

初日の出

⑦菰敷橋

調子にのってこのまま、てくてくてくてくてく(かなりのてくてく)…

菰敷橋(こもしきばし)まで。「菰敷河岸からカノツの上がり場」って講談の台詞にありますよね?ね?疲れて意識朦朧…

講談、演芸としての天保水滸伝は史実とは少し違うのかもしれない。実際のものを持ち出して比べることは野暮かもしれない。だけど、わたしは笹川を歩いてみて、この広々とした(ともすれば単調な)風景の中にいて、より深くこの物語をたのしめるようになったと思う。

潮来の遊びに船で向かう一向、夜明け前に乗り込んできた助五郎一家、諏訪神社での相撲興行、夜陰にまぎれ繁蔵が討たれた桁沼川端、神社前の旅籠や十一屋、延命寺の本堂ではかくれてどばが開かれていたかも?なんて想像も。

さて、今回はこれまで。

魚信家(あたりや)さんでごはんを食べて帰りましょう。

お寿司おいしいよ~

(せっかくの笹川なのに、東庄のSP豚、うなぎ、鯉は食べなくていいのか?いいよね)

魚信家(あたりや)

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